相互作用による再帰的な記憶と記録の量産

誰のためだと思って 書簡という記事を読んだ後にネットに残されたデータという記事を読んで、ブログ…というかネットって、作者の記憶から記録が生成され、読者の記憶が量産される再帰的なシステムなんだなぁと思った。

作者の記憶が他人というフィルタを通さずに記録となる。そりゃ生々しくグロテスクだしキモイのは当然だよなとも。

他では電波メディアは大量に記録をばら撒くけど限られた作者の「記録のコピーを大量に配布するもの」*1だし、書籍なんかは比較的作者を選ばない「記録のコピーを大量に配布するもの」なんだけど、読み手の記憶が記録として残されることは少なく、再帰的とは言いがたい。

要するに、ネットは自分が書いてナンボの世界ってこった。ってのは、書いて初めて気付けたかも知れない。

追記:

この話題に関連して、梅田さんはどう考えてたのかなぁと思って久しぶりに「ウェブ進化論」を開いてみたけど、内容が「グーグル」「ロングテール」「ブログ」をサラサラっと触れている感じで、今読むと「あぁ、そんなこともあったよね」位の内容に感じてしまったのが正直なところ。ネットの「あちら側」と「こちら側」の話で情報(+システム)の供給者側と消費者側を分けてるってのも、ちょっと旧態然としたメディア業界の雰囲気というか、ビジネスのニオイを感じてしまった。

ウェブ進化論」では全体的にイメージされているネットワークが固定的な雰囲気で、ある情報の供給者⇒再発信者⇒再々発信者⇒…という一方通行の図式が読める。

wikipediaだったりamazonによるロングテール現象に対する説明ならそれで十分なんだけど、ブログによる相互コミュニケーションではある情報の供給者⇒再加工発信者⇒再加工発信者⇒…というモデル*2が近くて、再加工発信者の情報受信者には元の情報供給者も含んだり、情報が時間的に、参加者の記憶を介して変異するネットワークになるだろうと想像した。情報供給者は受信者にも成り、受信した情報を再加工して発信しなおす。しかもそれを意識させないようなノードの集合をどう形成するかがアレなわけで、はてなブックマーク+ダイアリーっていう構成に今更ながら感心した今夜でした。

いや、はてなは使いやすいと思いますよ、ほんと。

ウェブ進化論」は2006年2月初版だから、約2年前かぁ。んー。

はてな村では梅田本ウェブ時代をゆく」に関連して「好きを貫く」だの「カレーが好き」だのが盛り上がってるけど、漏れ聞くところから推す限り起業家向けのビジネス本だろうなという気がする。読んでないけどwww

再帰性」と「記憶を介した情報の変異」っていう2つのポイントは引き続きキーになりそうな予感で、「次のウェブ革命」は社会現象ではなく、物凄く個人的な現象になるんじゃないかと思ったり。あぁ、でもそれって革命とは呼ばないか。

*1:要するに、メディア。

*2:かなりわかり難い。はてなグラフなんて作ってくれないかなぁ。グラフはグラフ理論のグラフ。