男女論で、彼女を幸せにできるのか

マクロはミクロに対して不可逆であるということじゃないのかなと。要素の集合からその集合の傾向は見出せるけど、その要素の傾向からある要素の性質は見出せない。

アンケートとかの統計学的分析や学者先生の社会学的分析から、ある属性の人間の集団にはこういう傾向があるというマクロの結論は導き出せる。だけど、その結論がその属性のミクロの、つまり目の前の一人の人間に対して成り立つかどうかなんて保障は何にもないんだよね。その人が統計上の「その他:2.0%」側の人かも知れないし、学者先生が敢えて無視した人かも知れない。結果的にその人にその傾向がある側だとわかっても、出会ったすぐに「あなたにはその傾向があります」なんて、統計学占星術じゃないんだから。

目の前の彼女は田嶋陽子ではない。「女は文句ばっかり言う!」と言論広場で幾ら文句を言ったところで、その広場には田嶋陽子がいなければ意味はない。それどころか。「フェミニストは文句ばっかり言う!」だって、もちろん大した違いはない。

なーんてことを、自分で檻を作って自分で檻に入った奇妙な獣とか自分で檻を作って檻で狩をする奇妙な獣あたりを読んで思った。論じていることはもっともだけど、違和感というか「だから何?」という感じというか…。

何かこう、男女論でも人が幸せになる方向のものってないんだろかなぁと思う。人種・国籍のお話でも同じだね。

追記:タイトルは「男女論で、私を幸せにして下さい」でもいいかな。