死にたかった人が死んだら、

  • 「願いが叶ったね、おめでとう!」と祝福するのか。
  • 「彼/彼女を救えなかった。」と悲しむのか。
  • 「彼/彼女は本当に死にたかったのか?」と疑問を呈するのか。
  • 「彼/彼女の『死にたい』という気持ちは社会が作り出した幻想なのだよ。」と斜め上から咎めるのか。*1

http://d.hatena.ne.jp/nightshift/20081016/1224155161では当人達の願いは叶ったということで祝福する人は多いでしょうし、自分もおめでたいお話だと思います。当人達に「タブルハッピーでしたね☆」と言えても、「中出しハッピーでしたね☆」とは口が裂けても言えませんけど!

これに対して上の問いでは、祝福すると答える人は少ないと思いますし、俺だって単純に「おめでとう」って言えません。何でだろう、当人の願いが叶ったという点では同じなのにね。

このとき感想として現れているのは、自分は彼/彼女がどうすべきだと思うのか、彼/彼女にどうして欲しかったのかのような気がします。自分がその人の立場だったらどう思ったかみたいな、自己投影というか。他人の行為に対して自分の感想を述べる場合、自分の問題意識の枠組みの中に閉じ込めざるを得ない、こういうのがあるとおもいます。

http://d.hatena.ne.jp/amp_rugged/20081019/1224414098とか、「中出しハッピー!」は本当に「いい話」か? | blog.yuco.netの辺の話です。だからどうしたって問われると困るけど。いろんな意見がでるっていうことは、結婚や出産、育児に対して、社会的価値観の転換期だってことかなぁ。
メタメタで申し訳ないです。

*1:実はこの感想だけ、彼/彼女自体ではなく取り巻く環境に主眼を置いた議論であることに注意。ミクロとマクロの転換に慎重になる必要はある。