「いじめられる方に原因がある」と「いじめられる方に責任がある」は因果関係と責任問題って点で区別すべき…?

不快感を表現するのが苦手な人っていうのはいじめられやすい傾向にあると思うし、「不快感を表現しない」ってのをいじめられる原因と捉えても問題はないと思うけど、それを「不快感を表現しないのが悪い」っていうとそりゃ違うよねって話。
横断歩道で車にはねられてたって状況で、「横断歩道をわたるときは左右をみるべき」が成り立つと同時に「漫然と横断歩道を歩いているのが悪い」が成り立たないのは、単純な因果関係とそれに対する責任は別ですよって話なんだよ。
ただ、被害者に対して「お前にも原因があるが、責任はない」とどう上手く伝えるかってのは難しいよね。世の中のオヤジどもは、まずここで落ちる。まず、目の前の事象に対して結論を出す、責任を明確にすることから始めるってのが重要なんだろかね。

…等々と、↓のブクマ※を読んで思ったので、記しておきます。

b:id:kobeni_08 ここにも「いじめはいじめられる方が悪いんだ理論」やら「とはいえ現実は」問題が見えました。実際つけられたりしたら「ほらみたことか!」ってなるのか!女って損だ
はてなブックマーク - 全盛期のごうだまりぽ on Twitter: "昔から実名を晒したり、顔出し取材に応じたりして面倒だったのは、別に、女だからつきまとわれる・突撃されるということはなく、むしろ「女が実名晒したらつきまとわれたり突撃されたりして危ないのに、なんて自衛意識がヌルいんだ」と、身内や知らない人から怒られることが多いこと。"