設計書は標準化できるかもしれないし、できないかもしれない

設計書が標準化されればうまくいくという意見を見かけたことがあるが、自分はそうは思わない。

設計書が標準化されたからといって中身が濃くなるわけでもないし、作ったり表現したいことは毎回違うわけで、万能な設計書なんてありえない。

逆に標準化された設計書に縛られて表現したいことが表現できなかったり、標準化するという目的だけに目が行ってしまって内容が薄くなることが考えられる。いや、考えられるではなくて実際そうなってる。
ぱる日記

これは同感だけど、同感じゃないです。何だそれ?つまり、万能の設計書が無理だからといって、標準化を諦める必要はないんじゃない?ってことです。

ある枠組み(プロジェクトだったり、特定のSI屋同士だったり、ソフト的なフレームワークとか)に閉じた範囲では設計書の標準化は可能だし、役立つ(無駄な設計書じゃなければ!)。でも、その枠を超えた範囲では役立たないかもしれない。

設計書って書く人と見る人とのコミュニケーションの道具でしかなく、求められるコミュニケーションは開発プロセスによってかなり異なる。逆に、似たような開発プロセスを採用してる場合は似たような設計書で足りることが多くなると思ったりしてます。

いずれにせよ、「万能の設計書」と「役に立たない設計書」は紙一重だろうなぁ…。