無責任な社会、限定責任な社会

責任を伴わない、責任を問われない行動を上手く活用した場合、各種コストが劇的に下がったり、逆に信頼性があがったりする現象が起こるのが面白いと思う最近です。

例としてインターネット全般を思い浮かべる人は多いと思う。昨年だったか、近所で地震があった時、唯一つながる通信がネットだったし。ようやく電話通じたのが地震発生の3時間後って、恐ろしい差だと思いません?住んでる場所は大した被害がなかったのにね。

WEB2.0CGMOSSなどについても同様で、WEBサービス事業者は特に契約がない限り、常時サービスが利用できることを保障しないし、CGMだって内容の保障はない。OSSも別途サポート契約等がない限り無保証が原則となる。もちろんこの日記も、内容についての保障はない。

他にもブレインストーミングは良い例で、批判されないということは、批判されないような意見を出す責任を負わないとなるし、また、答えや有意義な意見を搾り出さなければならないような責任もない。ということで、自由に意見を交換できる環境が作れて、結果的により良い意見を見つけ出すこともできるわけだ。

システムの信頼性を90.0%から9.0%だけ高めるコストと、99.0%から0.9%だけ高めるコストは等しく、99.9%から0.09%だけ高めるコストは等しい。というのが、並列サーバの稼働率計算でお馴染みな理論。

信頼性と責任のチキンレースに莫大なコストを掛けてる間に、限定された信頼性と限定された責任でシステムが動き、効果を発揮する。この現象って、何か名前付けてる人いないのかな。