「属人性の排除って、小学生にでもやらせるの?二歳児でもできるようにするの?」

それは、『現在のソフトウェア工学は、属人性の排除を目的としている訳ではなく、目的を達成する為の結論として属人性の排除を要素として構築されている。』という事だ。なので、それは間違っている・いないの問題ではなく、むしろコアなのである。ここが問題なのだ。
ではなぜ現在のソフトウェア工学には「属人性の排除が要素として必要」でなければならないのか。
基本に立ち返って、ソフトウェア工学の目的とはなんだろう。それは「ソフトウェア開発が産業として安定成立する事」だろう。そこでこれを、大目的とする。
では、さらに考えて「産業として安定成立」するにはどうしたらいいだろうか。
ソフトウェア工学とソフトウェア開発中二病 - milogicであるかのような日常

「属人性を排除するとして、産業として安定する保証なんてないよね。」とブクマには書いたけど、さらに質問してみる。中二病なのは十分承知してますよ。

  • 「属人性の排除って、小学生にでもやらせるの?二歳児でもできるようにするの?」

…って問いを考えると、暗黙に期待する人物像ってのがあるはずなんですよ。それは「現在の生産性1倍の人」に期待する人物像と考えればいいんでしょうか?でも、そう考えるとすると、おそらく永久に生産性が向上しないチームができちゃいますよね。「20%の割合で存在する生産性が180%の人」を期待する人物像としたら、「属人性の排除」と矛盾するし。

それに、「誰でも作れる」を推進するほど回りくどい方法を取る必要があって、書類が増え、作業コストも膨らむ。膨らんだコストに対するリスク軽減効果の検証は?「誰でも作れる開発手法、設計手法」が存在することを信じて、誰にでも作らせて、結果何もできなかった。で、スペシャリストな消火部隊が投入されてコスト超過納期遅延でようやく納品とか。よくある話じゃないですか。

少なくとも現状は、ある程度有能な人物をある程度囲い込んだ方が確実でしょうね。そのために皆、数少ない指標の一つである業務経歴書を重視してるんでしょう。属人性の排除なんて、本当は誰も信じていません。選り好みすりゃいいじゃん。優秀な技術者を確保できなかった場合、コスト(つまり作業量、期間、資金)が余計にかかる。大規模開発でも同じです。大規模開発主体の大手SIerさんなら、自社に優秀なSEを囲んでる(囲もうと努力している)はずです。

属人性の排除なんて実質下限に合わせてるだけだよね。そんな暇あったら自分や自分達の生産性を上げることを考えてた方が、よっぽど役に立つと思いますよ。

蛇足ですが、ソフトウェア開発での「属人性の排除」を言い出すのは大抵の場合マネージャさんになると思いますが、反面、マネジメントの属人性排除は積極的じゃない人が多いですよね。経験上。マネージャさんの属人性こそ排除してほしいwwww