作ったシステムを評価するために大金をつぎ込む

作ったシステムを評価するために大金をつぎ込む。で、それに対する評価とか、その評価に対する評価とか考えると、評価する項目そのものを減らしたり、評価する閾値を下げたりすると、必要な金額が劇的に変わるんじゃないかなぁ…。

何てことを、予告.inの話題で思った。って、これ書いてる時点でサーバ落ちてるけどw

予告.inが満足できるシステムに仕上がっているかどうかの評価をしない限り、総務省が打ち出した政策が実行できたかわからないし、それがわからなければ、その政策が犯罪を未然に防ぐという点で効果的だったかもわからない。わからないと、「政府は無策」と責められる。

自分が給料分仕事してることを示すための予算って書くとバカみたいだけど、各段階で大金をつぎ込みたくなる理由もわかるんだよね。

それにしても、「何を以って犯罪予告と判定するのか」を「犯罪予告そのもの」ではなく「犯罪予告の通報予告」とした発想と、動くモノを作ってしまう行動力、その行動力を支える環境の整備とか、色々すごいと思うし、俺には「その発想はなかった!!」なんていう賞賛というか悔し紛れなみたいなコメントとか、「『通報しやすくした』『大量の通報を評価しやすくした』っていうのが予告.inの最大のポイントだと思うし、メタ情報を扱うSBMと相性がいいよね。」みたいなわかったようなわかってないような後だしコメントしか出せないんですけど!!!